エッセイ

なぜ人生に行き詰った人はインドへ行くのか2

田舎という井戸を出た私。これで、思う存分、世界が堪能できると思っていました。しかし、井戸というのは、実は、何重にも重なっていて、終わりがないのです。それを、教えてくれてたのもインドでした。

福井の田舎では、まわりの人と違う行動を取る人が、ほとんどいません。世界は広いという事を知った小学生の私でしたが、どうする事も出来ず、中学・高校は、まわりに合わせて生きていきました。

しかし、高校を卒業する時、私は世界を堪能するための、一大決心をしたのです。それは、4年生の大学に進学せずに、和裁士という着物の仕立てのプロにになるための修行するために、京都で行く事です。

この私の決断に、蜂の巣をつついたように、まわりの人は驚いていました。

福井の田舎では、みんなが同じような人生を送るが当たり前と思われていました。だから、そこから外れて、「興味のある事を追求する」という選択肢が存在している事自体に、驚かれていたのです。

京都に住み込み、和裁士になるための修行をし始めた頃、私はとても楽しく毎日過ごしていました。自分の見たい世界を見て、やりたい事を追求する。小さな田舎の井戸の中にいては、決して、出来ないことをしているという充実感がありました。

それから、6年の月日が経ち、24歳になった頃、突然、インドへの切符が目の前に降って来ました。姉の友人にインド在住の日本人の方がいて、そこに姉と一緒に行ってみようという話になりました。

は小学校の頃から抱いていたインドに行けることに、期待を膨らませていました。しかし、そのインド旅行は中止になってしまいました。なんと、予定していた旅行の直前に、スリランカ空港でのテロが起こってしまったのです。

「世界は安全じゃない。」

これが第二段階の衝撃でした。そんなアタリマエのことがやっぱりわかっていなかったんです。

日本人は安全ボケしている、といいますが、まさに私がそれでした。

自分の命を脅かされるような驚異が身近にあるのだと考えさせられる事件でした。

インド旅行自体はなくなりました。別の国に行く機会があったのですが、外国であれば意識を変えなくてはいけないのはどこも同じでした。

旅行中に危険な目に合うことは幸いにもありませんでした。しかし、お花売りの少女に小さな花を押し付けられたり、バスの中でスリと攻防したり、怪しい人から声をかけられてしまったりと小さな事件はありました。

田舎という井戸を出ても、日本という井戸を出ていなかった私がやっと井戸から出たのでした。

これが、二度目にインドが私の人生を変えた瞬間です!インドに向かおうとしただけで、私の人生の枠を広げてくれました。どうやら、悩みの有無に関係なく、インドに関わるだけで、人生がポジティブな方向へ動きだすようです。

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